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群馬のベーハ小屋02

2011.06.17 Fri
最初に見つけたベーハ小屋で「近くに煙草乾燥小屋ありますか?」と聞いたところ「さー、どうだかなァ」と言われ近くにないのかと探し始めた矢先に発見。
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▲二軒目発見。煙草乾燥小屋がどんなものかわかっていないと見つけにくい。

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▲反対側から。写真を撮ろうと車の外に出ると、鳥の鳴声と家の周りを細く流れる用水路の水音がサラサラと聞こえた。

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▲庭先での農作業が一息ついたところのようで、お母さんに話を聞かせてもらえた。

どのくらい前までタバコやってたんですか?「私が娘時分の頃はやってたから・・・50年くらい前までは確実にやってたね。」(お母さん、いくつなんだろう・・)「茨城からタバコ農家の先生が教えに来ていたのよ」おお、茨城といえばベーハ小屋の聖地!昭和34年の資料では全国で一番多かったというから、納得。昭和34年=1959年、今が2011年だから・・ほぼバッチリ。
こちらの乾燥小屋も二間×二間。ただ「今は物置だから」と中は見られず、残念。

群馬はお蚕が有名なのでタバコのイメージありませんでした、と言うと「タバコと蚕は仲が悪いから」と教えてくれた。蚕は20年前まではやっていたそうだ。「タバコの乾燥は5日間くらいかな?青い葉を入れて乾燥するまでだから・・」思い出しながら話がすすむ。
注)青い葉=黄色種以外のタバコ、という確認はしていない。
  話の流れで「乾燥する前の」青い葉という言い方だったように思われる。

ここで「電話だよー」と息子さん登場。
息子さんは多分30代後半くらい。「タバコやってたなんて記憶はないよ。あの小屋が煙草の乾燥に使われていたなんて今日知ったくらい。蚕は手伝わされたから覚えている」と教えてくれた。
今は周辺でも蚕やっているのはほんの僅かで、桑抜いて普通の畑か、多少はそのままにしての兼業農家が多いそうだ。帰り道、畑の端に実をつけた桑が何本か並んでいた。

後日、煙草栽培が盛んだった愛媛県の資料に100時間火の番をした、という記述を見つけた。24時間×5=120時間、まあ4、5日寝ずにいたということだろう。そしてこの資料によると、愛媛・瀬戸内の島々では桑畑→タバコとなっているが逆に群馬ではタバコ→桑畑となっているのが興味深い。
また自動車販売のヤナセ二代目である梁瀬次郎氏のウィキペディアに「母の祖父は群馬県で一番のたばこの栽培業者で、いわゆる吉井のお大尽だった」という記述がある。
大正5年生まれの梁瀬次郎氏の記憶だから、早くて大正10年頃から大正末期、昭和初期あたりか。上の世代に聞いた話かもしれないが、そのころ「お大尽」になるには明治期にタバコで稼いだのだろう。
お蚕よりも前に群馬県吉井ではタバコ栽培が行われていたのである。


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群馬のベーハ小屋01

2011.06.17 Fri
群馬県の吉井町に煙草乾燥小屋があるらしい、ということで訪ねてみた。
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▲一軒目発見
煙のそばに草むしり中の後ろ姿。
「すいませーん」「・・・・」
二三歩近づき「すいませーん」「・・・・」を繰り返し。
あと数歩のところまで近づくと、ようやく「ああ」と顔をあげてくれた。
耳が遠くてね、とおじいさん。

話を聞くと、まず煙草乾燥小屋に対する特別な呼び方はなかったようだ。「乾燥小屋って言ってたかな?」
何年くらい前まで煙草やってたんですか?と聞くと「うーん・・」と考え込んでしまった。だいぶ昔のことなんだろう。
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▲見慣れたベーハ小屋フォルムだ。目の高さの窓は覗き窓。現在は倉庫である。

小屋の寸法は「二間ま尺」という。
二間四方(約3.6×3.6m)のことだなと話を聞いていたのだが、「ま尺」が気になって意味を調べると
  ましゃく【間尺】
  [1] 工事・工作の寸法。
  [2] 損得計算。割。
とのこと。
また、このあたりにあった小屋はこの寸法か柱一本分少ない小さめのもの(約3.6×2.7m)も多かったそうだ。乾燥小屋を建てる前はタバコの葉を天日干ししていて朝出して夜取り込んでいたという。大変な作業だ。
乾燥小屋ができてからは石炭を燃やして寝ずの番で乾燥させたんだと話してくれた。それはそれで大変だ・・・。
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▲小屋内部のレンガ積み。
新しい倉庫を建てる時に壊そうと思ったけどもったいないのでクレーンで吊って移動した。よって現在は外にあった石炭の釜は無い。
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▲内部 壁を見上げる
タバコの葉を六段に渡して乾燥させた。
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▲地窓。四隅にありおそらく給気の役割。
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▲目視で確認できなかったが、越し屋根の窓は滑車で開くようになっていたそうだ。

最初は春秋は蚕、夏にタバコをやっていたが蚕がタバコのヤニでよってしまう、場合によっては青水吐いて死んじゃう。自分の家の蚕はいいけど、よその家の蚕が死んじゃうのはまずいし、蚕がよく(糸を)吐くようになったので、タバコはやめたと話してくれた。


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20101031★ベーハ小屋

2011.04.28 Thu
ベーハ小屋を見ることはこの旅の大きな目的でした。
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▲愛嬌のある顔。換気用につけられた越屋根がアクセントになっている。
ベーハ小屋とは煙草の葉を乾燥させる小屋のこと。もともと香川の西ではカンソバ(乾燥場)と呼ばれていたらしい。

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▲香川の土は黄金色。

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▲ベーハ小屋研究会では並列夫婦窯と呼ばれる。

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▲ちいさなハシゴ付き

日本には16世紀末の南蛮貿易で煙草が伝来、そこから国内で煙草栽培が始まった。
江戸から明治あたりに日本で多く栽培された「在来種」と呼ばれるの煙草の葉は収穫後、日干しなど自然通風による乾燥を行うものだった。
昭和に入り乾燥小屋が必要な「黄色種」=アメリカ原産の煙草の葉、つまり「米葉」の栽培割合が増えた。「米葉」を乾燥させるための小屋=米葉小屋→ベーハ小屋、と地域によっては呼ばれていたようだ。

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▲ベーハ小屋へ続く道=ベーハアプローチ
埼玉県内では現在栽培されていない。10年前のデータにも記録がない。熊谷ではベーハ小屋も煙草の畑も見たこともないわけだ。ベーハ小屋研究会の熊谷支部長としては「ベーハモード」(ベーハ小屋を探すときの臨戦?態勢)でひとつ群馬あたりまで遠征せねば・・・。

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▲ベーハ小屋は、かつて「働いて」いた小屋であることが魅力の一つだと思う。他にも地の素材で出来ていること、よい風景をつくっていることも惹きつける力だ。

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▲煙草農家は減っている。栽培、乾燥など手間のかかる作業で話を聞いたおばあさんも「煙草やっている農家へ嫁に行くもんじゃないって言われた」と笑っていた。使われなくなった乾燥小屋も朽ちてゆく。それが野にかえっていく姿が、ひどくまっとうで私は安心させられるんだと思う。

讃岐のベーハ小屋といえば菅さん
ともに旅した静岡支部長の報告

ベーハ小屋ーWikipedia(20110525追記)

参考HP
日本葉たばこ技術開発協会
全国のたばこ耕作組合中央会

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