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星川の彫刻はどんな経緯で存在しているのか

2012.03.21 Wed
IMG_5985.jpg
▲熊谷空襲の戦禍を訪ねて 市内の文化財をめぐる12
 編集:熊谷市立図書館 美術、郷土係
 発行:平成七(1995)年八月十四日(戦後五十年)
 戦後五十年の節目を迎え当時の様子を伝える作文を一般公募し刊行された。
 表紙写真:佐藤虹ニ氏(昭和二十年八月十六日頃、本石付近)

星川の彫刻を見ながらまち歩きをすることになり「そもそもあの彫刻たちは一体どんな経緯で存在しているんだろう」と考えていた。
それとは別に終戦前夜の熊谷空襲で市街地の約7割が焼け、その焼けた部分を色分けしている地図があると聞き熊谷市立図書館を訪ねた。その日は結局、目当ての地図は見つからなかったのだが「この本の中に似ている情報がありますよ」と司書の方に貸していただいた本がこの一冊。

読み進めると日本画家・大野百樹氏の文章にぶつかった。「清流の星川」と題した大野氏による文章のなかに星川の彫刻の謎が明かされる一節があった。また熊谷の箱田用水路沿いで行われる「川沿い作品展」に関わった身としては氏の川に対する考えに大変共感できる思いである。
少し長いが「星川」の記述部分を中心に引用してみよう。



傷心の私にとってこの星川の清流が悲しみを流し去ってくれた。こんなに水のきれいな熊谷、そうだ熊谷に住まわせてもらおう。清流の星川のそばにと探したところ、九山寺と星川を挟んで向側の泉町の家で玄関脇の部屋を貸してくれることになり深い人情に感謝した。
(中略)
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▲飯田医院裏(南側)の旧星川
 撮影:成沢寿氏(昭和二十四年四月)

熊谷についたときは一面の火が天空を焦がしていた。火の手をよけながら泉町へ行く。この時市民の憩いの場でもあった星川に戦火を逃れようと逃げ込んだ人々。焼夷弾や燃える家々の火焔によって百名近い尊い命が失われた。その惨状と悲しみは今も言語に尽くせない。
(中略)
星川はその後、都市改修にともなって蛇行した流れを直線化し、湧水がなくなったので上流で地下水のくみ上げをしたりもしたが水量のこともあり清流は求められなかった。(中略)そのとき熊谷の星川を魚の住める清流にしたいと決心した。先ず(中略)時の市長さんに星川の清流に錦鯉の泳ぐ絵入りの陳情書を提出した。(中略)水の湧かなくなった星川には幾つかの大きな問題があった。(中略)そこで荒川から取水の成田用水を星川に分流すること、それにともなう工事費等々である。(中略)星川が清流になって大きな錦鯉の泳ぐ川に生まれ変わったが、これを維持してゆくには熊谷市と市民の心からの協力が必要で、特に星川周辺の方々には常日頃清掃などのお骨折りを頂いている。ありがたいことである。
(中略)
IMG_5986.jpg
▲駅前通りの星川がついに貫流
 撮影:成沢寿氏(昭和二十七年二月)

星川には七つの広場があり、すでに一番上流にある「いこいの広場」には北村西望作「戦没者慰霊女神像」が昭和五十年、戦災三十周年に(中略)建立された。(中略)昭和五十六年春に「星川をメルヘンの道に」との願いで彫刻像設置事業が決定し、私も協議委員として情熱をそそいだ。五十七年「太陽の広場」に桜井祐一作「レダ」と緑の広場に千野茂作「やすらぎ」の作品が設置された。「レダ」は健康と生命力あふれる明るく大らかな太陽のイメージで、「やすらぎ」は清澄なうるおいと生気が秘められた女性像である。「レダ」は桜井氏の中原悌二郎賞に輝く代表作で、ともに日本美術院同人で、後、国画会彫刻部の中心的作家である。五十八年には「お祭り広場」に円鍔勝三作「花園の歌」、平和で明るく軽快なロマンスとメロディーの感じられる女性群像が設置された。そして五十九年に「若もの広場」に富永直樹作「新風」が設置された。この像は希望にもえ生気あふれる青年像で芸術性を高く評価され、日本芸術院の代表作である。その年の四月には星川広場に清水多嘉示作「躍動」設置。独自な力強い秘められた生動が見事なリズムとなって表現されている。(中略)六十年四月に「ふれあい広場」に菊地一雄作「ふれあい」像が完成した。少女の優しくみずみずしい流れるような自然美が造形化されている。このようにして日本の一流彫刻家の代表作が星川の広場ごとに設置できたことは、彫刻によって星川の都市空間を一層美しくしたい願いをくんだ作者の方々の心からの協力も大きい。
日照時間の多い平野地の熊谷で立体の美しさを学び、大地にしっかり立脚した人生を送りたい。雨の日のうるおい、早朝のすがすがしさ、夕陽に輝く星川の水と彫刻との語らい、四季それぞれの美しさを実感できることは幸せである。昭和六十二年に星川が第一回埼玉景観賞に選定された。
市民と共に生き、心のうるおいの星川をより美しくの願いは、川寄りの散策路・電線の地中化・水の浄化・水に調和する街づくりと緑などと考えられるが、一番大切な川の美しさは、流れる清流の水の姿であり、多く橋をかけたりフタをしないことも重要な事と考えられる。
星川の源「玉の池」は、熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如翁によって、慶応年間から明治にかけて造園された。現在は庭園も建物も格調高く整備され、日本的文化教養の場となり「星渓園」と名づけられ池を中心とした廻遊式日本庭園で、名勝として熊谷市文化財に指定されている。
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