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熊谷の銭湯★朝日湯

2011.05.11 Wed
110511_01.jpg
▲極楽へようこそ!の入り口。唐破風ではないけれど多分、気持ちは唐破風なんだろうなあ。※下記追記あり
その代わりと言っては何だが、戸上の装飾は見事。持ち送りはアカンサスの葉?これだけ色が違うということは扉上の装飾はもともと青か何かで彩色されていたのかな。
旧中仙道からも現在の国道17号からも一本脇の道だからこそ、この姿が健在なのかもしれません。もちろん現役。
110511_02.jpg
▲全体像
ところで女湯と男湯って入り口に向かって右とか左とか、決まりあるんでしょうか。
私の知っているところだと、まず
【埼玉北部】
・朝日湯(熊谷市)    女∥男
・喜美の湯(熊谷市箱田・廃業) 女∥男
・姫の湯(深谷市)  女∥男
【都内】
・浴場熱海(文京区・廃業)   男∥女
・竹の湯(新宿区)       男∥女
・平和湯(杉並区)       男∥女
・金生湯(新宿区)       女∥男
・第三玉の湯(新宿区)     女∥男
・熱海湯(新宿区)       女∥男

おまけ【四国】
・宝温泉(銭湯・高松)     男∥女

うーん、日本人て先にやってたところを参考にしそうだから時代と地域で絞れば大まかに色分けできるかも。

2014追記
銭湯といえば唐破風のイメージが私の中にあるのだが(銭湯研究家の町田忍氏による「破風は“極楽への入り口”を表している。破風が設けられている場所は、銭湯以外には3つしかない。寺院の入り口、霊柩車の屋根、遊郭の外装である」という記述に「なるほど!!」と思った。)よくよく調べてみると唐破風の銭湯建築が流行ったのが関東大震災後の東京中心だという。
朝日湯は戦後の昭和22(1947)年に建てられたことを考えると東京の銭湯を踏襲しながらも、唐破風や宮型造りにはせず洋風鏝絵とでも表したらいいのだろうか、この戸上と持送りのレリーフ(浮き彫り)を組み合わせた独自のかたちが気になる。

「洋風鏝絵」で検索すると、信州上田にある建物を見つけた。
・登録文化財になっています→飯島商店店舗棟
大正13(1924)年に信越線上田駅前に建築(その後昭和38年頃曳家)された飯島商店は養蚕業の栄えた時期のもの。

この建物と朝日湯の装飾、センター部分が似ていて驚く。

朝日湯のそばには20年前の平成6年(1994年)まで熊谷の片倉製糸があった。(現在はイオンだが片倉シルク記念館として建物も残されている。)
世界遺産に登録された富岡製糸場を操業していた片倉さんは、もともと明治6(1873)年に 長野県諏訪郡川岸村(現在の岡谷市川岸)で片倉市助が10人取りの座繰り製糸を開始したのが始まりだ。

ううむ。
関東大震災(大正12年)後に関東近郊にひろまった銭湯建築と、明治から大正にかけて養蚕に湧く信州からの洋風鏝絵が熊谷で交錯したのではないか…と夢想してしまった。


・夜の朝日湯スケッチ





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| | | 2014.07.05(Sat) 08:18:14 | [EDIT] | top↑ |

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